「へーっ、日本の建物の写真が見てみたいさ! 絵でもいいから今度描いてっ」
「描くのは構わないが、俺はお前みたいに上手くないぞ。絵心ってやつが無いんだ」
「全然いいさー」
興味津々な顔で立ち上がるラビを前にして、六幻を納めた大切な袋を背中に掛ける……毎日当たり前に繰り返すそんな仕草に、神田は度々母を想った。「御子息を然る武家に仕えさせたい」と言葉巧みに母親と自分を騙し引き裂いた挙句に、異国の人買いに売り払った男が憎かったが、俊足を生かして逃れ、この町の孤児院で暮らす今はそれなりに満ち足りていた。
「日本語が話せる奴がいて、本当によかった」
神田はラビと共に森の中を歩きながら、ぽつりと言った。
しみじみとそう思うことが多くあるため、度々同じことを口にしていたが、ラビは一度として「前にも聞いたよ」などと言うことは無かった。いつも初めて言われた言葉のように、パァッと顔を輝かせて笑う。
「俺もユウが日本語を教えてくれてよかったさ。俺の知ってる日本語は本の情報だけで、発音とかかなりあやしかったし」
「そういや、最初はやけに古臭い言葉を使ってたな」
「そうそう、なにしろ五十年くらい前の本で勉強してたから」
「それでも日本語は日本語だ。お前には本当に感謝している。こんな遠い国に連れてこられて言葉が通じなかったら、どうなってたかわからないよな」
「知ってる言語を教え合いっこしたんだから、お互い様さ。御礼なんて無しっていつも言ってるさ?」
ラビは数冊の本を入れた麻のバッグを元気よく振りながら、神田の手をそっと握る。新鮮な卵の黄身のような太陽の光を受けて、その頬は仄かなオレンジ色に染まっていた。
「一年前のあの時はまだ弱くて……それに何日もろくに飯を食ってなくて、逃げることしかできなかった。だが今は違う」
神田はラビの手を握り返しながら、西の方角を顧みる。
進行方向とは逆に位置する切り立った崖の上に、孤高の城、オステリア城が聳え立っていた。
「もしあの城から吸血鬼が来ても、俺を異国に連れて来たような人買いが来ても、俺がお前を守ってやる。刀は魔法にも銃にも負けない──特に六幻は名刀だからな」
「ユウ……」
「絶対に守ってやる」
神田はラビと共にオステリア城を見上げて、禍々しい漆黒のフォルムに息を呑む。『世界各国の子供を集めて血を啜る、美食吸血鬼の城』と噂されるオステリア城から──夕暮れを前に無数の蝙蝠が飛び立っていた。
※「lunatic moon」サンプルおわり
※携帯で見やすいよう、実際よりも改行を多く入れています。
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