『序章』

 その夜──キャバッローネ・ファミリーの若き十代目ボス跳ね馬ディーノは、然る病院の一室にいた。
 他のあらゆる予定を返上し、使える力を惜しみなく使って、是が非にも繋ぎ止めたい命があった。
 最高の設備と医療スタッフ、心の底から際限なく繰り返す呼びかけ──そのすべては、ボンゴレリング争奪戦によって、瀕死の重体にあった彼の人を救うためのものだった。

「──スクアーロ」

 人払いをして初めて、声に出して呼びかけた。
 そんなディーノは、自ら発した音に自嘲する。
 特別察しの良いロマーリオでなくとも、耳にした者ならば誰にでもわかってしまいそうな、甘く切ない響きだった。

 目の前のベッドに横たわっているのは、雨戦において獰猛な鮫に襲われたスペルビ・スクアーロだった。迅速な手当と手術によって一命を取り留めたものの、未だ昏睡状態にある。
 全身を包帯で巻かれている上、無数の電極に繋がれており、口には酸素呼吸器をつけられていた。
 それは実に痛々しく無残な有様だったが、ディーノは目をそらさずに見つめ続けている。

──あの頃もしも、こうして逃げ出さずにいられたら……

 悔恨の念に胸を打たれながら、そっと身を屈める。
 スクアーロの左胸に顔を寄せ、耳をぴたりと押し当てた。
 心電図のモニターがピッピッと電子音を立てながら鼓動を描きだしていたが、自分で感じなければ納得出来なかった。
「……」
 ディーノは不安で押しつぶされそうな心を沈めるために、スクアーロの心音を聴く。
 厚い包帯の下で、彼の心臓はトクトクと音を立てていた。
 安定したリズムが、回復を雄弁に物語っている。

「──…一時はどうなる事かと……」

 呟いたところで、返事はおろかわずかな反応すら無い。
 静かな病室には、機械的な音が響くばかりだった。

──スクアーロ……

 ディーノは包帯に耳を埋めたまま、瞼を閉じる。
 こうして彼の心音を確かめるのは、初めてではなかった。

02>



HOUSEKI-HIME N